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久留里城(くるりじょう)_別名「雨城」(うじょう)



江戸時代黒田氏によって築かれた城のうち、昭和53年に本丸跡に天守閣が再建されました。往時の城は本丸に二重櫓、二の丸に長屋塀、ふもと低地部の三の丸に御館が配置されました。
また、昭和54年に二の丸跡に資料館が建設され、平成12年8月に50万人の入館者を記録しました。

久留里城は別名「雨城」(うじょう)と呼ばれています。
「築城のときに3日に一度雨が降り続いた」とか「この山にはよく霧がかかり、遠くから見ると雨が降っているように見え、城の姿が隠し覆われ敵の攻撃を受けにくかった」ともいわれています。

久留里城の起源については「平安時代中期の猛将平将門の三男、東少輔頼胤が初めてこの地に砦を構えた」と伝えられていますが、確証はなく伝説と考えられています。以後、明治4年秋に廃城されるまで武田氏、里見氏、黒田氏をはじめ数々の城主の居城となってきました。

久留里城の復元は旧上総町のころに明治百年事業として計画され、地元はもとより多くの市民から待ち望まれていました。そして昭和53年に天守閣が完成し、約100年ぶりに久留里の丘陵に城が再建され、翌年には久留里城址資料館も完成しました。
天守閣は、城山公園の本丸跡の隣りに築城され、鉄筋コンクリートの2層3階建て、延べ面積は約190㎡、高さは15mあります。 石垣は、安山岩を2mの高さに積み四方にまわし、外壁は昔の城と同じように、白のしっくい壁と南京下見板風につくられています。

久留里城は、房総半島の中・近世城郭の代表格として、また周囲に残る数々の遺構は貴重な資料として、往時の面影を今に伝えています。

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